池袋中国語コラム 中国经济发展的轨迹—五年计划—2
昨日の五カ年計画の2回目で中華人民共和国建国後、どのように推移していったかを表でまとめてみました。一覧になると比較しやすいのでご覧ください。
中国人の五カ年計画
五カ年計画の年次 | 時期 | 時代を表す中国語表現 | 特徴 |
第1次五カ年計画「一五」 | 1953~1957年 | 工业增速,超英赶美
(工業化の加速、イギリスを追い越し、アメリカに追いつけ) |
工業総生産額の年間平均成長率18%で、旧ソ連の支援を得て156の工業化大型プロジェクトを実施。 |
第2次五カ年計画「二五」 | 1958~1962年 | 大跃进,大倒退
(大きく躍進、大きく後退) |
変化が激しく、紆余曲折の時期。高指標を目指した「大躍進」の経済建設ブームで一時成長率は54%に達するも、その後-38.2%の成長率にまで落ち込む。 |
第3次五カ年計画「三五」 | 1966~1970年 | 三线建设,备战备荒
(内陸後方基地建設、軍備と飢餓に備える) |
後退した経済の調整、回復を目指し、国民経済システムの基礎を築いた時期。1966年に「文化大革命」が突如到来。 |
第4次五カ年計画「四五」 | 1971~1975年 | 严重失控,调整战略
(コントロールできず、戦略の調整) |
国際的には緊張関係にあり、国内的には「文化大革命」の影響で盲目的な高数学が掲げられ、終始「抓革命、促生产」が叫ばれた。 |
第5次五カ年計画「五五」 | 1976~1980年 | 新跃进,大转折
(新たな躍進、大きな転換) |
回復と調整時期。「文化大革命」「四人組」打倒を経て、新たな躍進期では経済が失速。1978年の三中全会が経済建設の大きな転換の年となる。 |
第6次五カ年計画「六五」 | 1981~1985年 | 走向改革开放
(改革開放に向かって) |
国民経済建設の調整を立派に行った時期。農村と都市の経済体制改革が推進された。景気好転の下、固定資産投資の規模が過大化、経済は過熱気味となる。 |
第7次五カ年計画「七五」 | 1986~1990年 | 改革闯关,治理整顿
(改革の関門を突破、整備整頓へ) |
経済過熱時期で政府はマクロ的な調整策を採用。計画経済と市場経済の議論をめぐり、中国の特色のある新たな社会主義経済体制の構築が標榜された。 |
第8次五カ年計画「八五」 | 1991~1995年 | 小平南巡,改革潮涌
(鄧小平の南巡講話で改革の波が押し寄せる) |
1992年の鄧小平の南巡講和と共産党第十四大会の後、人々の意識や経済発展の情勢に大きな変化が生じる。GDP成長率は年平均12% |
第9次五カ年計画「九五」 | 1996~2000年 | 宏观调控,经济“软着陆”
(マクロ政策で経済は「ソフトランディング」) |
1997年のタイの金融危機の影響を受ける。インフレ抑制のためマクロ政策を実施して抑制に成功。国民経済は持続的かつ健全な発展をみせる。GDP成長率は年平均8.3%。 |
第10次五カ年計画「十五」 | 2001~2005年 | 指令计划退场,市场配置资源
(計画的な撤退を指示、市場に資源を配備) |
21世紀に入り、人々の生活が小康レベルに達し、初歩の社会主義経済体制が確立された。2001年にWTOにも加盟、中国は外国に市場を開放。しかし、農村問題、失業問題、資源不足、環境問題など今後の課題は多い。 |
第11次五カ年計画「十一五」 | 2006~2010年 | 变压力为动力,化挑战为机遇
(プレッシャーを原動力に、挑戦をチャンスに変える) |
2008年は四川大地震、世界的なリーマンショックで金融危機の影響を受けるなど苦難の1年であった。一方で国の威信をかけた2008年の北京オリンピック、2010年上海万博の成功によって、中国は更なる飛躍を成し遂げ、世界に強大な国力を示すようになった。2010年にはGDP総額が世界第2位に。 |